朝倉彫塑館(東京都台東区)
下町の賑わいと寺町の落ち着きが交差する東京・谷中。この町に、彫刻家・朝倉文夫の住居兼アトリエだった台東区立朝倉彫塑館がある。朝倉は明治40年、24歳でこの地に住居とアトリエを構え、没年まで増改築を繰り返した。
平成21年から大規模な保存修復工事が行われ、昨年10月にリニューアルオープンした。
「今回の工事には、3つの柱があります。一つは朝倉が生前暮らした姿に戻す復元。もう一つが築70年以上経って傷んだ箇所を直す修理・修復。そして、耐震補強です」と、学芸員の戸張泰子さんは話す。
この建物は朝倉が自ら設計し、隅々に至るまで美意識を反映させている。復元にあたって目指したのは、朝倉が没した昭和39年の姿。後年設置された倉庫や覆い屋根を取り除き、アルミサッシに換えられていた外部建具を元のスチールサッシに戻した。新建材が塗られた和室部分の壁も、スイッチプレートの下に残っていた昔の壁材の痕跡を頼りに復元した。
老朽化した箇所の修理・修復では、アトリエ棟の床下で風化しつつあった大谷石の束を取り換えたり、パーケットフロアーを一枚一枚修繕して張り直したりした。中でも苦心したのが、朝陽(ちょうよう)の間と呼ばれる、朝倉が応接に使っていた日本間の壁の修復。赤味を帯びた壁には、天然石の瑪瑙にジャスパー(黒曜石)などを混ぜた鉱物が塗られており、剥落が著しかった。
今回の修復では、この壁をすべて剥がして回収し、洗浄してから塗り直した。材料の配合を顕微鏡で調べている最中に、鉱物を砕くのも人力で行ったことが判明。修復でも同じ技法を踏襲した。
「日本画の絵の具と一緒で、細かくし過ぎると白っぽくなってしまいます。ほどほどのところで止めるのには人力が適しているようです」
耐震補強は居住空間として使用されていた木造部分を中心に行われた。修理の前は、耐震基準を満たしていないため公開が中断されていたゾーンだ。こちらの建物は数寄屋造りで、竹を多用するなど、凝った意匠が施されている。この趣を失わないよう、壁の厚さを変えずに強度を増すことが課題だった。土壁を切り取って薄い構造用合板を入れ、両面から釘を多く打つことで耐震性を確保した。表面からわからないように筋交いを入れたり、床下に鉄骨を入れたりした箇所もある。
足かけ5年という長い時間がかかったのは、単に新しいものを運び入れるのではなく、今ある建物を活かした修復だったから。「保存修復工事によって朝倉が目指した理想形に近づきました。遊び心のある空間を堪能していただきたい」と、戸張さんは言う。 (文/平山友子)